忙しかったり・・・

Kasilof River Alaska King Salmon

思いたって来たけれど、なかなか生きるのに忙しい。見慣れない地図を膝の上に広げ、なれない道でいつもと反対の斜線に車を走らせて、どこまでが川へと続く道か心配になりつつ、ふと気が付けばガス欠までも視界に入れないといけない果てしなさである。キャンプ場にたどり着けばテントの設営・撤収を繰り返し、町に洗濯に出、シャワーを浴び、スーパーで買い物カゴ片手にうろうろすればはや夕刻となっている。仕方ない、芝生に座ってビールでも飲むことにする。

芝の上でビールの栓をひねっていても、風を捕まえてクエイキングツリーがからから音も立てているのをうつろに見上げていても、ぼんやり過去を振り返ってみても、そして薄暗い中で焚き火の炎の揺らめきに視線を合わせているだけとしても、やっぱり暇ではないのである。

都会での油断のない状態とも不意に襲いかかってくる虚脱とも別種の、他人を気にしない時間のなかですべて自分の意思で過ごさなければならないからだろうか。

 

キャンプ場の脇にある道を一人、または仲間で、夫婦で、子供をつれて釣り人が川へと降りていく。一人、帰ってくる釣り人の手にはサーモンがズシリと掛けられている。「何かを得るに心せき、感じるに急がるる」若造釣師としてはその魚を見せられてすぐさま何かが点火、釣師に歩み寄って、

 

「すごいね」

「そんなでもないよ」 と笑いつつ。

「いやいや立派なもんだよ。どれくらいかかった、あげるのに?フライは?いい竿ですネ」

「XXOOXXOO。今ちょうど魚が入ってきているのかも」

 

わが陣地に戻ってそそくさと支度をはじめる。期待しないように期待するという二律背反が始まる。急いでも変わらない事実を知りつつも小走りになってみたりする。いよいよ意志を越えた欲望が持ち上がってくる。そして目の前には川があり、ささやかながら流れる音が耳に入ってきて、今日午前中ここで釣をしたにもかかわらず、この川はまったく新しい川になっていて、まったく新しい期待を寄せている。「Hi!」そして自然に釣り人たちの間に入っていく。なかなかに忙しい。