抜ける

Kispiox River Steelhead Wally Bolger

この川は森を溶かし込んで流れていて、栄養たっぷりの流れである。落ち着いているときは針葉樹を写して緑色だが、空に泣かれると土を溶かして容易に茶色に変わる。

スキーナ川との合流地点から25kmくらいまでは人家やロッジがまばらにあり、昼夜を問わず黒熊が徘徊しているのだけれど、川にいても車の音がどこかで聞こえていて、獣の恐怖をやわらげてくれる。自然に出たくてやって来たのに、車の音に慣れた文明を感じ、安心を感じる不思議は石の墓の住人だからなんだろう。

キスピオクスは平均15lbのスティールを育むジャイアントスピーシーズの故郷として有名である。確か40年程前くらい、立て続けに30lbオーバーが釣られ、ワールドレコードとなり、この川は一躍釣り雑誌に踊り、巨大なスティールヘッドの故郷となった。その理由はどうやら幼魚期に川で過ごす期間がスキーナシステムのほかの川より長いからのようである。このことから他の川産出のスティールヘッドとは別種族と言われてもおかしくはない。オスはどっしりと肩の張った鋭い目つきのやからが多い。一見して胴が太く、重量計測に通常用いられる計算式がこの川のスティールヘッドには適応できないと言われるくらいである。

これが釣り人を狂わせる。キスピオクスのスティールヘッド、それも20lbクラスが手に収まると、深い森に育った住人を抱えた気分になる。スティールヘッド特有の疾走、躍動とは別種の手ごたえである。

合流点から30kmを過ぎると、木ばかりの林道となり、たまに行き交うのは釣り人、コンディションを確認して回るガイド、あるいは林木を運び出すトレーラーだけで、めったに人と行き交うことがなくなってくる。森の中に侵入し続けていくと、時々車の前を野うさぎが横切り、リスが横断し、道沿いに黒熊が走ったりする。

奥に進んで釣り場に到着し車を止めると、ドアを開けるところから緊張する。釣りのための支度を済ませている間も何かが背後に潜んでいるようで、釣りに向かう高揚はにじみ出てこない。何者かがきっといるのだと想っているのに、今からその彼らの領域を歩いて渡って行かなければならないことが、いかに狂った釣り人といえども、揚々と楽しめるものではないのである。しかし、その場所はほぼ間違いなく魚が入っていると知っている。抜けるしかないのだ。

背丈ほどのブッシュを掻き分けていく。近くに自分を見つめる何かを感じる。足音をひそめたい気もするが、ひそめてはいけない。ここに自分がいることをそれとなく知らせるために、逆に音を出し続けるのである。なにやら独り言を叫びつつ、あるいは歌を混じらせて、自然の中で肩が小さくなりつつも、先にある流れの水底に沈んでいるスティールヘッドを仕留めようとする気持ちが勝って、森を抜けるのである。