やっておく

カナダから戻ると、たいていは余分な脂肪分を取らずにすごした1週間のおかげでちょっと身体が締まった感じになる。鏡を見て、森や川岸を歩き、川の流れの中で踏ん張って過ごしたせいで、わずかな時間ながら野生化に向かったかのように思ったりもする。これから約1年、現代の都会の生活から進入してくる過剰分を抑えるべく、釣行から戻って早速ジムに足を運んだ。

 

かつて秋田に釣りに出かけて腰痛に襲われ、その後1週間入院するほどのことになり、以来、ジムに通っている。魅せるカラダに仕上げようという目的は一切なく、ここはいわば病院で、週末2回通院し、淡々とメニューをこなす。施設内の付き合いなどなく、黙々と足、腰、上半身の各パーツの筋肉を刺激して、通勤やオフィスワークでは分泌されないホルモン類を全身に沸き起こらせようと集中する。この通院を1、2週間でも怠るとにわかに腰周りに違和感を感じ始めるので、いわばちょっとした恐怖に駆られつつ通い続けている。すでに5年、そうしてきた。

筋トレを1メニューずつこなし、約1時間をかけてマシンを渡り歩く。チェストプレスをしつつ、目の前のランニングマシンのベルトがクルクルと回転するのを物憂げに見つめていると、夢から覚めたかのように徐々に現実が提示されてくる。走っても走ってもその位置が変わらずに漕ぎ続けている運動を眺めていると、これからまた1年先の釣りの時間まで仕事中心の時間を漕がねばならないかと思い、うなだれたくなってきた。

仕事は十分変化に富んでおり、十分エキサイティングで、十分チャレンジングで、人生を彩るに十分充実した時間であり、なかったらそれは空虚な時間に支配されてしまうこと必至ゆえ、こうして仕事をいただけているだけでもありがたいのだけれど、ただそれは釣りとはまったく違う世界なのである。その違いを思うとうなだれたくなる。そういうことなのだ。

翌日通勤を開始し、御苑の緑を横に歩きつつ煙草に火を点けると、立ち上る煙はどこか透明感がない空気を漂っているようで、濃く、粘りとうねりがあり、あの川岸で燻らせた煙とは同じに見えず、戻ってきた現実をここでも知らされる。

ネズミが走行ホイールから飛び出したような時間がカナダにはあって、いわば足が地に着いた状態であり、自分の意思で時空の中を進める。ところが、今はすでに別の多くのエネルギーが周囲を支配していて、それが自分の意思とは関係なく時間を進めているようで、その中でそのスピードに乗って、自分は何かをまた漕ぎ始めようとしているかのように感じている。

2010年もまた、なんとかそんな走行ホイールからわずかの時間抜け出して、釣りに出かけることができた。

最近10年の旅は滞在が短いゆえ、天候条件がシリアスに両肩にのしかかり、バンクーバーからスミザーズまでの機中でも川は一体どうなっているかと不安が付きまとう。釣りの旅は楽しみばかりだなんて冗談じゃない。ヘーゼルトンの友人と過ごす時間は間違いなく楽しみだけれど、計算が立つのはそれくらいで、釣りに関しては天候次第で前半が台無しになるか、後半が台無しになるか、あるいは通期でだめになるか予測が立たないのである。正直ことごとく毎回天候によって釣りの時間が左右されているから、気構えは旅の1ヶ月前からし始めているといった次第。現場に着けばその気構えはなおさらで、だから端から見れば私の釣りはかなりせわしなく、いつもムキになっているようにも見えるだろう。

釣り場には誰よりも早く、釣り支度は誰よりも早く、釣り場にも足早に向かう。朝食はさっさと済ませ、昼食は抜けても仕方なく、夕食は適当に。もし通常の釣りが許されるコンディションであれば、その時間を最大限「釣りをして」楽しみたい。もともとの性情と今までの体験が相まってそうさせているのです。お許しを。

Steelhead Meiser Spey Rod

今回は8日間の釣りのチャンスを得たわけだけれど、やっぱり、想像通り、釣りを容易にはしてくれなかった。初日に好天が広がり、せっせと釣ったおかげで魚にも恵まれ、最初の4日間は希望を募らせた1年間を充足する時間になった。けれど5日目以降の4日間は雨が空から滴りはじめ、願いかなわず川の水は増水傾向になり、最後の2日間は頼みかなわず竿を出すのも気が引けるほどで、釣師は全員撤退し、川岸をウロつくのは絶望しつつも希望がどこかに落ちていないか探し回る自分だけになってしまった。

つまり、こういうことだと思う。心構えも仕掛けも、のんびり調整しているうちに自然はじゃんじゃん変わってくる。魚のご機嫌も、気温も、気圧も、天候も、水量も、釣人の数も、自分ではどうしようもないチカラがどんどん入ってくる。慌てふためく時間を作りたいのではない、余裕のない時間を過ごしたいのではない。カナダで釣りをするいい時間を過ごすためにベストを尽くしたい。それだけである。

今年はうまくいった。

そしてまた1年、釣りは想像の中で続き、そうして365日の時間を過ごし、幸運に恵まれれば再びここに来て1週間だけ実態を帯びる釣りの時間を得られるかもしれない。そのときも、とにかく。

釣れる時に釣っておけ。

そういうことだ。