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初めてイワナを竹竿で釣ったとき、芯の詰まった竿がグラファイトのそれとは違って、しなやかで優しく、ゆっくりと曲がって魚の重さを手の中に下ろしてきて、釣り人と魚との繋がりがごく自然に感じられたことを思い出す。今回スティールヘッドで使った竹竿は以前のその感触とはちょっと違う。5キロかそれ以上の体重が竿を絞り、何十メートルも一息で水中を疾走していく感触は "繋がり"というには激しいものだし、時に風の中を切り裂くようにラインを走らせなければいけないのだから、ふわりと軽く水面に届けるような優しい扱いではなくなってしまう。だから、グラファイトに向いている釣りに無理やりバンブーロッドを持ち込んだようにも思われるかもしれない。

 

フライフィッシングはもとから他より制約のある釣りで、誰でもできるけれど、誰もがしっかりとした技術を身につけられるかとというとそうではないことも多いのだと思う。スティールヘッドの釣りではキャストするという最もフライフィッシングらしいところがやっぱり重要で、ある程度はしっかり投げられないと釣りにならない。そしてフライを流すと言うよりは泳がす、漂わせるという技術も結果に違いをもたらす。トラウトでは究極のナチュラルドリフトが至高と思うけれど、スティールヘッドではそれ以外の技術が発展している。

Steelhead Edwards Quadrate Bamboo Rod スティールヘッド バンブーロッド エドワーズ クアドレート

ここで振り返って再び思う。キャストとドリフトの二つの点で、スペイフィッシングは本当に強力である。もしスキーナシステムの川でスティールヘッドを獲りたいのであれば、スペイに勝るものはないと思う。

たとえば、ウェーディングはそんなに奥までしなくても良いのだと口では伝えても、実際の現場ではもっと遠くにフライを届けたくなることがよくあるし、スペイロッドは深くウェーディングしても何とかしてしまう。たとえば魚は近くにもいるのだから、そんなに広く探らなくてもよいと思いつつ、スペイロッドであれば遠くから近くまでいっぺんに流してしまうことができる。たとえばルアーみたいなフライじゃあフライフィッシングらしくないと思ったところで、それが有効なときはいくらでもあるし、スペイロッドは大小構わずフライを扱いきってしまう。

竹竿では、スペイで何気なくできていることを叶えることは難しい。けれど、もしスティールヘッドの釣りをもっとフライフィッシングにしようとすなら、バンブーロッドを答えにしたっていいはずだ。

せっかくの釣りを台無しにしないために、いくつかを規律として設けてみたけれど、それは道具に関することよりも自然科学を洞察することで設けられることのほうが違いをもたらすことになっている。

ロッドは9フィートだってきっと問題ないし、多少重くても体力が許せば使い切る人はいるはずだ。でも深く水に立ち入れば、リズムを失い、崩れ始めることもあるだろう。フライは多少大きくなったって構わない。けれどとにかく遠くに投げたい一心でやりすぎると、届けるフライの距離は乱れるし、辺りの水を釣人が騒がしいものにするに違いない。

Steelhead Skeena Edwards Bamboo Rod

一つの制約を乗り越えると次があり、それを解決するとまた次がある。エリヤフ・ゴールドラットが唱えた「Theory of Constraints (TOC)」はビジネスの現場だけに留まらず、普遍に、スティールヘッドの現場にも存在する。ただビジネスと違うのは、結果が全てではないということと、制約条件を楽しむことができるのがフライフィッシングであるということである。

例えば、魚がいる場所に近づこうと深くウェーディングしたためにバンブーロッドのキャストがうまく行かないとする。このとき考えられる制約条件は体の自由を制限してしまった深いウェーディングである。だから膝以上にウェーディングしないことでそれを克服したとする。すると今度はもっと飛ばさないと届かない場所があり、飛距離が制約条件になる。ラインをシューティングヘッドに替えることが一つの課題克服になるかもしれない。

だけどそれでいいのだろうか、と思うのがフライフィッシングと言う遊びである。シューティングヘッドを結ぶと自分の思い描くバンブーロッドのフライフィッシングではなくなるから、そこまでして釣らなくてもいいじゃないかと普通のフライラインだけを使用することができるのがビジネスとは違う。

次にバンブーロッドをスペイロッドに替えることを考えてみる。飛距離と言うボトルネックは一気に解消し、ついでにシューティングラインだろうとなんだろうと使いこなせる基礎になる道具を手に入れたことになる。けれど、バンブーロッドであることがその釣り人にとってのハートで、それを失うことは結果を得られないかもしれない以前の話。絶対に有効と分かっているスペイロッドに替えることを拒否し、その場所から去り、釣りができそうな他の場所に移動してかまわないのがフライフィッシングである。

ビジネスではラインをシューティングヘッドに替えることを第一弾の改善とし、また、根本の改善を考えればバンブーロッドを握り続けることは許されず、スペイロッドを導入すべき、となりえそう。ここでもまた、スペイフィッシングが多くの課題にフレックスに対応することができ、高次元で解決しうる釣りとして思い浮かぶ。最大限可能性を拾い、最大限利益をもたらす手法として。

 

こうして自分が普段置かれているビジネスの現場にダブらせて考えていると、自分がスペイフィッシングに、なぜ、何らかの不安を懐きはじめたかが分かった気がする。バンブーロッドにある“なにか”はこういうことの対岸にあると思われる。つまり、なにかと利益を得ようとする効率重視の現代生活の行いの数々にスペイフィッシングがダブり始め、そこにはない“自然”をバンブーロッドに求めている。 

「自然の中には平均は存在せず、自然は統計に頼らない。自然とは、計算不能な一瞬と限界とが引き起こす相互作用の結果なのだ」 

バンブーロッドにそれがある気がしている。