6つの要素

“釣り”と一言で済ませてしまって良いものか。

スティールヘッドを追いかけ続けていると、どうしても狩りの様相が見え隠れしてきます。「お魚釣り」で済ませたい、和やかに、穏やかにゆきたいのですが。実際は1日1回アタリがあるかないかですし、その機会に乗れなかったときは、さてもう一度、なんて簡単には言えないのです。

私が言うよりも先にこの釣りはよくハンティングに例えられるのですが、実際それはどんなか感じのものなんでしょうか。友人のハンターはムースを狩るためにブッシュのなかに静かに身を隠し、何時間も待つそうです。物音も立ててはいけない。匂いも消したい。どこを徘徊しているか分からない相手の行動を読んで、静かに、しかしいつでも機敏に銃を構える準備を怠らない。そして年に1回のチャンスを追い求めつつ、静かに藪の中に佇み続ける。こう聞くと見えざる相手に瞑想状態のように黙々とフライを投じつつ、スティールヘッドとの間を詰めてゆく過程はハントに近い何かを感じないわけはないのです。

Skeena River Spey Fishing

それだけではありません。獲物を仕留めるには何事も杜撰であっては結果は望みにくいものです。ハンターはムースが前を通りさえすればもらったも同然かと言えば、そうではないでしょう。さまざまな状況での射撃の練習、スコープの設定、銃や弾丸の選択もあり、準備には相当な努力が伴うはずです。野生の獲物を仕留める上で、スティールヘッドのフライフィッシングもハンティングと違わない、同じような要素を要求されているのだとすれば、どうでしょうか。

カナダで釣りをして13年が経ちました(2010年時点)。その間にいろいろな釣人と出会い、自身を振り返りつつ、気が付いてきたことがあります。スティールヘッドを獲るHUNTの要素をいくつか。

 

1.投げる

キャスティングは重要かと聞かれれば、まったくその通りです。

別の項でも書きましたが、20mの範囲をカバーできれば悪くありません。そこまでになるには練習です。例えばゴルフは練習しますよね。もっと遠く、まっすぐに飛ばそうと人のアドバイスに耳を傾ける。不思議です。釣りではそうならないことが多い気がします。プロやスタンダードが確立していないからなのでしょうか。川岸で会った経験豊かな釣人が言います。「まずインストラクターに教えてもらって、ちゃんと投げられるようになってから釣りにくるほうがずっと賢い」。もしくは人にアドバイスをもらいつつ自分で練習するほかありません。

では、投げればとにかく良いのか。スティールヘッドをハントするにはいくつか重要な点を押さえた上で、ようやくキャスティング=プレゼンテーションの域に入ってくるものです。

綺麗にリーダーがターンしないからといって、投げ直すことでフライが水中を無駄に走り、ラインが水面を切り裂いてできる音がすでに魚を警戒させている。思っていたより届かないといって再度ピックアップして水面を騒がし、フライをジャークしていれば、キャストしなおして数m遠くに届いたところで、すでに魚は警戒している。

投げなおしが少なくても、スペイキャスト自体が煩雑で、ダブルスペイでラインが水面を切り裂き、“小さい白いネズミ”が立てる音は実際は魚を警戒させている。遠くに投げようと思って深く立ち込めば、魚を散らすことになる。

さらに遠くに投げようとして水中でバランスを崩し、あるいは不用意にステップダウンして川底の石に滑ってバランスを崩し、付近の水をかき回す音を立ててしまえば、魚は警戒することになる。

競技をしているわけではなく、フィッシングであり、ハンティングである。テニスやゴルフとは違って人間相手ではなく、野生に生きる相手に対峙していることを忘れてはいけないでしょう。

 

2.巻く

釣れている人を見るとそのフライパターンを気にする人は多いと思います。フライが届く場所や流れる深さ、スピードが違えばまったく別のアピールになるのだから、プレゼンテーションが重要な事実は変わらず、フライ以外のことのほうが大切なことが多いのですが、それでもフライによって結果は大いに違ってくるものです。だからフライは重要かと訊かれれば、もちろん重要だと答えます。

フライの重要性はパターンの問題だけではなく、フック、バランス、サイズ、色も含めてのことになります。フライはハンターの弾丸に当たる部分。適切な弾丸が用意されていないようではまったく話にならないと考えれば重要度は言わずもがな。フライはよく泳ぐかということと同時に、掛かるか、ということと掛かった獲物を確実に仕留められるか、です。一見同じように見えて大きく成果が違うことは大いに起こりえます。当サイトの別のページでも触れていますが、フライはまず呼吸するような、動きのあるものがいいと感じます。そしてフックそのもの、です。仕留める確立をあげるにはここに配慮したほうがいいでしょう。つまり科学(物理学)の問題です。針先、フックの大きさ、ワイヤーの太さ、シャンクの長さなどで貫通力、掛かり方、はずれにくさも変わってきます。バーブレスフックで釣っていることを忘れずに。

 

3.選ぶ

Skeena River Spey Fishing

適切な道具を選ぶことは重要か?YES。適切かどうかは自然環境もさることながら自分の感性や体力にあっていることも重要です。どんなに強力なライフルでもうまく構えることすらできなければ意味がないでしょう。選んだ道具は性能や性格をよく把握していないと獲物を仕留める過程に隙が生まれます。

たとえばリール。ドラグの性能ばかり気になるかもしれませんが、それはもちろん重要として、その重要さはどれだけスムーズにバックラッシュが起こらずにラインが出て行くかです。ではなにが他に重要かといえば、たとえばバッキングの量を把握しているか、200m走っても十分ラインは入ってるのか、寒いときに凍った際どうなってしまうのか、ドラグやレギュレーターの設定は適切に行える幅を備えていて、またそのように設定されているのか、などなど。

たとえばロッド。風があるときにどんなキャスティングができるのか、上流下流どちらから吹かれても取り回せるのか、ループコントロールはしやすいのか、シンクティップは投げやすいのか、ドライラインのみだとどうなのか、獲物が掛かったときにどういう感じで力を吸収するのか、最後に獲物を水辺に引き上げる力はどれくらいなのか、などなど。

たとえばライン。スペイのローディングでどれくらいのヘッドの長さで何グレインのモノが一番自分に応用を利かせられるのか、快適に釣りができる最大・最短キャストの距離はどれくらいなのか、プレゼンテーション時水面にランディングするインパクトはどれくらいなのか、ランニング部分をどれくらい手繰れば通常のキャスティングなのか、シンクティップはどれくらいの長さだと通常のキャストで適切なアンカーになるのか、どれくらい早くティップは沈んでその深さはどれくらいの流れの速さだと底に着かないのか、などなど。

 

4.流す

ドリフトが重要なのかと訊かれれば、非常に重要と答えます。人によってはこれが一番重要という人もいるかもしれません。けれどそれはうまく投げられた上での話です。

“流す”といって良いのか、おそらく“泳がす”といったほうが適当でしょう。フライにはLIVEがないと魚は誘われてきません。ラインの操作はフライを泳がせるために行うのであって、ドラグを避けるために行うのではないと考えてみるといいと思います。ドラグをかけたほうが泳くのであればそうするし、ドラグをかけないほうが理想的に泳くのであればそうしてみるのがいいでしょう。

流芯がどこにあるか、流速はどれくらいか、深さはどうか、魚がどこにどういうコンディションでいるか。現在使っているライン、フライのボリューム、性格、沈み具合を当然知っていて、その上でどれくらい投げれば、どの角度に投げればを決めてゆきます。さらに下流にステップダウンするのはキャストの前なのか後なのか、メンディングはすぐにするのか、沈んでからか、上流側にするのか、下流側にするのか、あるいはしないのか。この全てを巧みに組み合わせ、強弱と取捨を変えて、フライが最も生きる泳ぎを演出します。

同じように投げて流しているように見えても、知っている人とそうでない人とでは水の中で起こることはまったく違うものです。慣れた人はとにかくフライが泳ぐし、その泳ぎはより不自然がなく、魚が警戒せず、むしろ誘われるものになっているはずです。初めてスティールヘッドを釣っている人は画一的なアプローチになりがちだし、その時その場の自然に応用が利いてないから何かしらの不自然がフライに起こっているはずです。

 

5.読む

河や自然を読まずに獲物に近づこうとすればどうなるか。獲物は不自然を察知し、警戒あるいは遠ざかることになるでしょう。ただ水に入って投げて流せば何とかなるのでしょうか。ラッキーは存在しますが、続かないでしょう。その場所その時期の自然を読み込むことは重要です。自然を熟読できれば魚の振る舞いを読めるかも。そうなれば先手が打てるかも。ハントの対象がどういう性格であるのかを知り、その上で周りの自然を解読してみます。川の流れがどっちを向いているのか、流芯はどこか、魚が留まるのを好む流速がどこか、日中ならここか、夕方ならここか、魚が上を向いているのか、川底に張り付いているのか、活発に動いているのか、ほとんど動かないのか、障害物は、陰になっているところは、増水傾向か、あるいは減水傾向か、スレているか、フレッシュなのが多いのか、他の釣人が使っているラインやフライは、などなど。

川岸の探偵になって狙いを絞ぼってみます。その上で1)投げる、2)巻く、3)選ぶ、4)流す、を決めてゆきます。どうしても先に道具やアプローチの仕方が考えられてしまいますが、事実はまず自然環境を読んで、それをもとに多くのことが後から引き出されてきます。だから決定的に重要です。

けれど、この自然を読み取ることが実際は本当に難しいのです。もっとも厄介。見た目で分かることもあれば、データで知ることもあり、データが取れなければ、水に入って感じるしかなく、あるいは道具を失敗して選んではじめて分かることもあるでしょう。今、人間がもっとも不得意とするのが自然を読むことでしょうか。

 

6.戦う

Skeena Spey Steelhead

ファイトは重要かなどと聞くまでもありませんよね。けれど、めったに掛からないというのに一体どうやってHOWを学べと言うのでしょうか。それでも何かしらのことは用意しておけるはずです。

まず道具を良く知っていなければ確実なファイトはできません。まずこれらを知っていればそれらをどう操作し戦うかの第一歩になります。

次に相手の性格です。どれだけ飛ばれようと、走られようと、魚の性格であるのだからそうなるのが前提。そして相手も生き物です。相手の性別や体格も考えて、抵抗があり、疲れがあり、時にねばりがあり、最後の抵抗があります。慌てないことです。あせって5分で取り込もうなどと思わないことです。1lbで1分と思えば10分や20分は掛かります。トラウトの釣りしか経験がないとものすごく時間が掛かっているように感じるかもしれません。こういう話があります。4時間ファイトしてあがらなかったヤツ。こういう話もあります。500m以上もバッキングを出されるまで戦ったヤツ。それと比べれば30分や1時間ファイトしたからってドウってことはないでしょう。ひょっとして今まで準備し、知識を蓄え、技術に磨きをかけた結果、掛かった相手かもしれません。だから獲ようとあせらないことです。

スティールヘッドは"The fish of a thousand casts"とも言われます。1回のPRIZEが1000回のキャスティングでようやく巡ってくるというこの言葉はなかなか的を得ています。ハントする側はその覚悟がないと重く冷たい流れの中で1000回のキャストを継続することはできないでしょう。繰り返しますが、ラッキーは存在します。でも継続はない。他人のラッキーを気にかける必要はないのです。ではラッキーではなく、獲得するための重要な要素はなにか。それはフライか、キャスティングなのか、道具か、知恵や知識か。いや、全て、です。

何が一番大事か、よく問いかけました。それが知りたくて、うまくいったとき、うまくいかないとき、うまくいっている人、うまくいっていない人を観察し続けてきました。結果、何が大切かが重なって、どれも大切だと思うようになりました。投げられれば良いというものではない、フライは何でも良いというものではない、良い場所ならどこに入っても釣れるというものでもない。どれか一つでも隙があれば、獲物は手の内に入ってこないのです。全てが調和して初めてPRIZEを得る機会が増えてくる、それがスティールヘッドの釣りです。

釣りの成果はスポーツの勝敗とは違うPRIZE/褒美みたいなもので、獲物があるのとないのでは自分が何かに認められたか認められてないかくらいの差を感じたりします。これが釣りの結果というもので、それは独特で、釣りを穏やかなようで穏やかなものにしないことがあります。これを穏やかに穏便にやりすごせるとなると、よほど人間ができていないと難しい。

水中の見えざる相手に釣師の見えないEFFORTの積み重ねが違いを生み出すことを感じるようになるのに、私はずいぶんと時間が掛かりました。13年、です。川岸で出会った釣人と言葉を交わす機会があったのですが、その釣師は45年、スティールヘッドを釣ってきていると言います。仕留めた獲物の話になると止め処がなく、話はフライ、川のコンディション、道具に及び、そしてキャスティングを見せてもらいました。独自のスタイルであることは間違いないのですが、コメント、スタイル、フライ、道具、全てが調和していて説得力がありました。彼に尋ねられました。

 

「どれくらいやっているんだ?」

「13年やっている」

「毎年1週間くらいか?」

「それくらいだ」

「ではお前の13年の釣りは俺の1、2年の釣りの時間くらいだな」

 

これが45年ほど続いているというのだから比肩しうるわけもなく、目眩がするだけで、私がどんなにここで語ろうとも、それは「たかが知れている」としか言いようがないでしょう。再び謙虚にならざるを得ないのです。けれど一つ言えることがあります。彼は電子機器をいじるゲーマーではなく、現場主義を貫く自然観察者であり、何より野生動物を相手にしているハンターであることを感じさせました。私が13年掛かってようやく感じている何かは、一部、彼の感覚に到達しているかもしれない気がするのです。