東北の渓

そういえば。

電車通勤していてふと、毎年この時期(9月中旬)はカナダにいたんだなあ、と思い出しました。コロナ騒ぎで何年かぶりに日本にいることになりましたが、シルバーウィークは家で大人しくしていて正解で、連日渋滞30キロの報告を見るたびにうんざりさせられ、一方で東北の渓にも足を運びたくてウズウズしていました。けれど、関東の多くの釣り人は最後の追い込みでこの時期東北に集結している気配もあり、せっかく行ってどの渓にも車が入っていたとなると。。。

 

やっぱりカナダが懐かしく思ってしまいます。スキーナカントリーの森を眺めて、川岸で水のコンディションに喜憂しつつ、8フィート8番の竹竿片手にお気に入りの川に向きあい、そして釣れない時間を繰り返していたのだろうと想像してしまいました。

国外に出られないために日本の川をいつもの年以上に歩いたけれど、結局は若い頃の失望と同じ気持ちになっていく自分がいます。東北のどんなに綺麗な渓流を歩こうともダムを越え堰堤を越えての釣りにやっぱり野性を感じることができず、写真のようにここにいる魚がどんなに美しくても寸断された水を行き来して生き残った魚たちであることを感じて、これまた寂しくなります。岩手の有名河川をスイスの友人と釣り歩き、堰堤下のたまりはほぼいつも魚を湛えた場所になり、最後に手にした良型のイワナも越えられない堰堤のもとでフラフラしていたのを釣ったわけです。野趣を感じることもできなければそこで立派に生きながらえている魚を慈しむこともどこか虚しく思ったりします。

 

今年東北には2回行くチャンスを得て瑞々しい渓流を歩きました。そのうちの一つ藤琴川は白神山地から流れ出る名の知れた渓流で、到着すれば川に降りられるところにはきっと釣り人の車が駐車されていて、仕方なく下流に移動して既にどなたかが釣り通しただろう後を追うように釣ってみることになりました。それでも途中ポツポツとヤマメやイワナが遊んでくれて、関東から来た釣り人には十分Fishyな感じでした。2キロくらい釣登ると、雨で水量が増した流れの先には巨大な壁がやっぱり控えていて、うんざりさせられつつ、その下の溜まりを釣らんと流れを辿ってゆきました。堰堤下に着いてマンション3階に届きそうな高さのコンクリートの壁と対面すると、そこに大きな鱒が水面から3mくらい高く飛び上がりました。それは渓流ではまず見かけない、サーモンサイズとも見えた概算60cmはあろうかという魚でした。増水に乗じて壁の中腹に届かんとするくらい飛び跳ねたものだから私もはっきり見えたわけですが、コンクリートはさらに倍以上の高さがあって越えようがありません。釣りを試みましたが早々に竿をたたみ、この日は釣りを終えて道中考えてしまいました。

もしこの人工物がなければ、この川にはどれだけの生き物が流れを伝って行き来したのか。あの大きさの魚が上流目掛けて移動可能なら深山の釣りをもっと幻想的にするだろうに。もし海から白神山中まで行けたとしたらどんなに素晴らしいだろうか。そう考えると、流れの中に作られた人工物を見てうんざりするだけでなく、堰堤から離れ、途中きれいな流れで美しい魚が釣れたとしても、何か嘘っぽい気持ちが湧いてきてしまいます。もしこの堰堤下のプールで大きな鱒を掛けたとして、釣り人として喜ばないわけではないかもしれないけれど、ナチュラリストとしてどう考えても喜べない気がするのです。

スキーナカントリーで釣りをしているとこれは絶対に感じようがないことです。キスピオクスの上流で釣った魚はアラスカからその先のカムチャッカの方までベーリング海を旅し、おそらく何度とあった危機を切り抜けてきた野生の塊のようなヤツで、故郷の川に戻ってなお300、400、500キロ上流まで遡上してきます。そんな生命に触れて地球に存在する見事な野生を感じないではいられないのです。しかし日本ではブナの森の渓流で生まれた魚が10mのダイブを決めて下れたとしても、もう二度と生まれた場所に戻ることはできません。

 

今までだっていろいろな人が発信し自然環境の改善を訴えてきたというのに、山の中の渓流にコンクリートを打ち込むことは止まず、イワナを釣り歩いていくつもの堰堤を越えることはしばしばで、下流の生活圏を守ることの裏側に政治がらみ経済がらみの思惑が見え隠れしていて、そのたびに森が切り開かれ、水に住む生き物たちの往来は分断される。一体生活の力点をどこにおけばいいのか分からなくなってくる。

どんなに綺麗な川での素晴らしい渓流魚を報告しても実際はその前後にダムや堰堤があったことは頭から離れず、この釣りは本来の自然ではない場所にあったまやかしに思えてくる。

もし日本の河川が海と直結していてその流れを伝って魚のマイグレーションを可能にしていたとしたら、上流で釣れた魚を手にしつつ、また放しつつ、命が世界の海に繋がっている感覚を得られるのだろうけれど、現状繋がらない生命を感じてしまって到底納得できないのです。

 

 

つまり。ダムや堰堤の多くは問題です。シンプルに、元に戻したい。元に戻せたなら。。。

バンブーロッド イワナ ハーディ マーキス bamboo rod Hardy Marquis