もう一度

私は別に独学派ではない。

 

98年。夢中でサーモンとスティールヘッドを追いかけたその翌年、同じくキスピオクスの川の傍にキャンプを張った。昨年と同じ場所に緑のテントで居を構えようとキャンプ場に乗り込むと、白い小さな、古ぼけたキャンパー(トレーラー)が留まっていた。ポツンと、ただ一台、昨年自分がテントを張っていたその場所に。

トイレやシャワーに近いことを考えるとこのキャンプ場唯一の滞在者が陣取るその場所がやっぱり都合がいい。キャンプ場を1周運転して、その隣に車を入れることにした。

車から降りて、若干警戒しつつあたりを見回す。そしてまずはキャンプ場の主、ロバートのところに挨拶に伺った。10月はじめ、シーズンもまだ中盤というのに利用客がワンサイトだけなんだからロバートの商売っ気の無さは相変わらずのようである。

「Wallyがいるぞ、スティールヘッダーだ、彼はすごいぞ、結構釣っている、けど今年はあまり良くは無いようだ、でも魚はいるさ!」 

昨年同様、たたみかける英語で迫る。自分の生半可な英語の理解でも隣の住人はかなりうるさいスティールヘッダーのようである。幾分面倒な感じもしたけれど、旅は出会い、OPEN MINDでゆこうと現場に戻ってそそくさとテントを張りにかかった。

自分が侵入者であり、初心者であることは昨年の旅で思い知らされている。いわゆる海外の人、つまり日本人以外の人と友人になることが実は誇らしいという卑屈で矮小な面もすでにそぎ落とされている。はずである。自分がこの川に再び向かって来たのは自然の成り行き。そしてこの川に来る他の人物たちはスティールヘッドを狙う同志。隣が誰であろうと気分良く滞在できることが重要。そういうことだ。

 

しばらくすると紺色のシボレーが泥道のキャンプ場を入ってきて隣のサイトに入って止まった。なかなかうるさそうな、一見してタフそうな人物が車から降りてくる。物腰は全くフレンドリーな様子が無く、チラと横目で視線を送った様子からすると、向こうも面倒に思い、また警戒しているらしい気配だ。ただ、キャンプ場の主に日本人のテント客がくるだろうとすでに聞いていた様子である。

こちらから声をかけた。

しかし和む様子は無い。

けれど私のことをスティールヘッドに狂い始めた釣人の一人とは思っているらしく、彼は早速釣りの話をぶつけてきた。技量を確かめようとの魂胆であるらしい。けれど私はまだスティールヘッドの釣り2回目である。カナダの住人にしてみればズブの素人同然。釣り場の話になり、道具の話になり、川の様子を辿って話を進めていけば、いやがおうにも化けの皮が剥がれる。しかしフライの話に及んだところで目が違ってきた。
互いの基地からフライBOXを持ってきて相対して開いたところ、どうやら我々はフライフィッシングのアートを大事にしている向きがあるらしいことが分かった。向こうもまた、自然愛好者としての私を少しはかみ合いそうだと思った様子である。ここからだった。親交が始まったのは。

Wally Bolger Skeena

初めて出会った最初の年、1998年のことになるけれど、まずWallyから影響を受けた技法はスペイキャスティングであった。まだ北米ではブームの初期のことで、スペイフィッシングを現場で見かけることはほとんどなく、日本ではそのロッドを"ダブルハンド”と呼び、イコールそれはシューティングヘッドの釣りであった時代である。

繊細さを感じない見てくれには似つかわしくなく、彼はエレガントなT&Tのロッドに3M のSPEY SALMONという薄いグリーンのラインを付けていた。キャンプ場の下の流れに遊び半分で降りてゆくときに、教えてほしいと声をかける。「ああ、良ければ来な!」 気を許し始めた者同士の気軽な返答に雀躍したくなったのを思い出す。

そして。見たのだった。

力強く切り返されるラインの軌道に、想像していたスペイキャスティングというものがこういうものなのかと目を奪われた。ダブルスペイだった。自分もこれをやってやろう、これでスティールヘッドを仕留めてやろう、これでなければならない、そう思った。

この年の滞在中、私はキャンプ場下の流れに出向いてはダブルスペイキャストの練習をしつつ、各Hole(釣場)での本番にそれを繰り返した。もう自己流ではないという充実感は形にこだわる自分を高揚させた。Wallyはたまに私が出かけてゆく場所について来てくれて、私はキャストに関する質問を繰り返し、彼はぶっきらぼうな返答を続けつつも、いつも気分良く釣りを終えて一緒に川岸に上がった。

1日中スペイロッドを振り回した後、ようやくキャンプサイトに戻ってくれば、結果はさておき、毎晩釣りの話にかき暮れた。たどたどしいコミュニケーションではあったけれど、炎を囲んで出来た縁には手応えのある共鳴があって、彼もこの言葉のコミュニケーションに難がある日本人を受け入れて、少しも怪しもうとしなくなっていた。

このとき約1ヶ月弱滞在したのだけれど、一つだけ彼が気を許さなかったことがある。彼自身のお気に入りの釣り場に連れてゆくこと。しかしこれは至極当然である。私がまだまだ小さかったころ、友人をお気に入りの場所へ案内したその翌日に起こった出来事が、場所は安易に知らせるものではないという規律になり、ましては最高の趣味では多くのことは自分で発見するものと私は考えているからである。だから釣り場に関しては追求するようなことは決してしなかった。それに2回目の釣行ではどこもまだ十分に新鮮で、流れにフライを投じるたびに興奮と緊張が湧き出てくるのだった。

しかし、である。

彼が自分で釣りに出かけるといつも結果を出してくる。このフライだ、こんな魚だと聞かされるたびに私は目を輝かせて聞いていたはずであるけれど、いったいどんなやり方で釣っているのだろうか。ラインのシステムは?ドリフトの方法は?いったいどんなところで?テントの中で寝袋に入るとこれらの疑問が止め処なく反復され、毎晩頭に熱を帯び続けるのである。

たまにどこかの国の新婚が釣りにカナダに来ていると聞くと、案内してあげてはみんなで結果を出してくるし、隣の町の友人がキャンプ場を巡回してくれば、連れ立って再び釣って帰ってくる。一方で私は、いつも彼らのハッピーぶりを知らされている間、1週間に1匹がせいぜいである。そんな中でも彼は決して私を誘うそぶりを見せなかった。

 

滞在も終盤、もう数日を残すのみとなってきたとき、彼はようやく私に自分の案内の下での釣りに招待してくれた。「朝早いぞ、5時だ。他の誰かに前に入られるなんて許せないからな!」

翌朝、そこで再び私は見た。カナダの釣師の、スティールヘッダーの実際の釣りを。

 

前を釣る彼の姿は自分にとって英雄のようであった。彼を中心に、あたりをフライラインが舞い、そして振り込んだ竿の先から一閃、川の向こうへ伸びてゆく。重い流れの中で掛けた魚をあわてずに誘導して手に収め、リリースの後、すぐにまたスキーナカントリーの空気に溶けてゆく。一緒に釣りをする時間は夢中で過ぎていくのだった。

この日私も果実を得た。「18lbくらいじゃないか、早く水に帰してやれ」
私の興奮なんてお構いなしに、Wallyはつまらなそうに言い放つ。運のいいヤツといいたいのだろう。

そのとおりさ!アンタのおかげだよ!心で言葉が弾んだ。このとき一緒に撮った写真は、自分とWallyと、そしてスティールヘッドが同時に収まった唯一の写真となった。

その後も彼は自分に一つ一つ教えてくれたものだ。ラインの選択や操作、そのあとフライが沈む様子や流れに泳ぐ様子、そのためのロッドの操作。純粋な興味と知りたいという情熱だけで、私は彼との時間に耳を立て、目を開いたままで過ごしたのだった。

 

翌99年からは北米では一気にスペイ熱が加速し、RIO社のラインが市場を席捲して、釣り場に繰り出されるラインの色がほとんど黄色になる。ウンチク屋がはびこり始め、スティールヘッドのスペイの技法もマス向けになってきて、ブームの下地はこのときにできたと思う。ビギナーの自分はそこに飲まれ、市場の影響を大いに受けつつ、Wallyはそのことが幾分おもしろくない顔をしながらも、交流はその後も続くのだった。

 

私たちは特にフライに関していろいろな話をした。Wallyは私が使うクラッシックのフライをおもしろがっていて、彼のキャンパーにフライを買いに来る人がいると私を紹介して「えらいファンシーなフライでやってんだよ、こいつ」と茶化したものである。その一方であるとき「一つよこせよ」と言うのでグリーンハイランダーを一つ進呈したところ破顔して見せた。

彼は販売や卸しのために量産したけれど、本気を出して取り組んだフライは実践に耐えうる耐久性はもとより、バランスやフィニッシュなど1級品と呼ぶほかない芸術であった。私たちはお互いのタイイングを興味を持って眺めあい、本来孤独である釣師が気の合う個人と向かい合えるという幸運な時間をともに過ごした。

毎年毎年、彼と会うことが楽しみであった。彼が夢に語った30lbを超えるメスのスティールヘッドが今年は仕留められやしないかと興味深くWallyの釣りを眺め続けた。

オフシーズン、たまに日本に電話もくれた。夜中の2時、向こうのには都合のいい時間なのだろう、調子はどうだ、あのマテリアルはこうだ、今年は来るのかと尋ねてくる。一方こちらは夜中にたたき起こされて朦朧として、多少愛想がない出だしでありながら、話を進めるうちに友人からの電話に気をよくしてきて、翌日からはコンクリートと騒音の都会生活の中でも、向こう1ヶ月をスティールヘッドと川の流れ、そしてWallyのことを考えて過ごせるのだった。

 

知り合って数年が過ぎた。嬉々としてすごした初心の時代はいつしか激しい情熱へと変わり、空高く青空が広がるカナダの川でWallyと釣りをしつつスティールヘッドへの理解が進んできたかと思うと、寒い10月の終わりには魚に行き交うことなくキャンプ場に戻ることを繰り返していた。

ロバートはキャンプ場を人に譲り、仕方なく私はBC州のキャンプ場で寝起きして、今までと同じくスティールヘッドを追いかけ続けた。ロッジに入るのを拒み、雨だろうとキャンプを選んで、毎夜かじかんだ手で火をおこし、ストーブのポンピングをしてインスタントラーメンをすすっていた。そんな中、時々そこにWallyが訪れ、そして私も彼の基地に顔を出して、お互い数杯のコーヒーを振舞ってスティールヘッドカントリーを過ごした。友人との親交は深まり、小学生のころ「遊ぼうぜ」と言って家を訪ねあうような感じだった。雨でも寒くても、一切の惨めはなかった。

Wallyは親戚の家の離れに居を構えつつ、一部のガイドや有名釣師との交流はあるものの、馬鹿になってカナダまで釣りに出かけてくる不完全な英語を話す日本人といたほうがどちらかというと気が楽なように見えた年だった。

イントルーダーがまだ出始めのころ、彼もまた同じようなアイデアで“ミスティリバーリーチ”というフライを考察し、その結果の詳細を良く語ってくれた。広大なスキーナバレーを流すのにふさわしいブラック&ブルーを基調にしたデザインだった。この年は他にもいくつかのフライのデザインを披露してくれていて、スティールヘッダーとして彼自身にもう一段の進化があるらしい気配だった。片手にT&Tのブルーの美しいロッドを握り、別の手のひらにはそのフライが乗り、彼の姿はパワー&デリカシーと言うよりはワイルド&アートの雰囲気が取り巻くような、そんなスタイルがいよいよ本格化しているように見えたものだ。

 

「明日キスピオクスに釣りに行こう、キャンパーも引いて上流で1泊しようぜ」
いつものことのように思えたし、また唐突にも感じたこの誘いはサインだったのだと今思い返す。

釣りはスローで2人ともまったく魚信を得られずに、一つまた一つと釣り場を変えていった。ある釣り場へアクセス途中のブッシュの中、なんでもないところで彼は転倒した。熊の恐怖を感じないではいられない緊張の中での出来事で、私はタフな大男が滑って転がったことに声を立てて笑った。「FUCK!」彼は相変わらずである。ぶつぶつ悪態をつきながら、また濡れた藪をかき分けて2人で釣り場から釣り場へと歩き続けた。

その晩、キャンパーの中でWallyは料理を振舞ってくれた。けれど、どうしたことか、彼はとにかく静かで、私はいつもの調子とわずかに違う気配を感じていたのだった。不安、ではなかった。話題もかみ合うことが少なく、何かの焦りが彼の中にあったのかもしれない。少しだが気まずい夜を過ごしたことが今も思い返されるのだ。

翌朝早々、私たちはキスピオクスからスキーナに移動した。しかし連日の雨で川の様子は自分たちの気分同様、澄まず晴れず。ただ沈んだような空気に取り囲まれていて、どこだろうと竿を出す気にはなれなかった。

流れを覘いてはまた車を発進させることを繰り返し、いつしかWallyがかつて釣りをした場所を一つ一つ案内してくれているかのようになっていった。ここはどうだ、あそこはどうだと地図で話をしても今まで一切無視していたくせに、このときはそういったところを一つ一つ見せてかつて釣りをしたときの様子を話してくれるのだった。

ずいぶんとテラスの町に近づいたころ、突然右に折れて国道から外れた。急な砂利道の坂を降りてアクセスした場所はちょっと開けた土地になっていて、川を見渡すことができた。

「この角度の坂は普通車では無理じゃないか?戻るとき登れないだろう?」

「無理だな」

「そんなに入ったら、川に近づいたら危ないんじゃないか」

しかしWallyはどんどん進んだ。勝手知った場所、若いときに遊んだ場所に懐かしさとともに近づくように。

「ここでよく釣ったんだよ。」

彼は静かに言った。なにか一つの区切りをつけたかのように静かに川を見つめていた。

「さあ、ここまでだ。行くぞ」

けれど車は草とぬかるみにはまり込んで4WDであってももはやどうにもならなかったのである。

ひとしきり恨みごとを言い合って、私たちはウェーダーをはいたまま、財布だけもって国道に出た。ミスティリバーに添った国道は霧で先の見通しがきかなかった。シブシブと降り続ける雨の中、釣りのジャケットを着た2人はフードをかぶりトボトボと歩く。Wallyはこのトラブルでさぞ落胆していることだろうと想像すると、私は数歩遅れて歩かざるを得ない気分だった。

「Welcome, B.C. Adventure!」再びやけっぱちの悪態に混じってWallyが言う。

けれど、冷たい雨が落ちる曇り空のもと、水浸しの道路脇を手ぶらで歩いている自分たちは不思議な時間に包まれはじめていた。薄暗い空のもとでも、何かほんのりと明るく、光を感じ、暖かかったことを思い出せる。

「ヒッチハイクしかないな」彼はそういって歩きながら左手を道路に突き出し、親指を立てた。

「俺たちもっと惨めそうな雰囲気を出せば早く拾えるんじゃないか?」そう私が言うと、

「そんなことしなくても十分惨めだろう、俺たち!」

数歩遅れて歩きつつ、私は彼がヒッチハイクを狙っているその後姿を見て秘かに笑った。そしてカメラを車から持ってくるのを忘れて悔やんだ。おそらくもう2度とはないベストショットが目の前にある。

「ちくしょう!カメラを忘れたよ、Wallyのベストショットが今目の前にあるというのに!」

彼は何を言っているだと振り返って、そして笑っていた。

ヒッチハイク後、ロバートの家に足早に向かって応援を頼み、車は無事救出された。その晩はみんなで食卓を囲み、このトラブルと救出劇を大いに楽しむこととなる。こんな暖かい時間があったのだ。縁と輪の友人との時間だった。このことを忘れてはいけない。

 

翌年の春、彼から電話があった。癌の手術を受けたと。自分は焦った。

「あの時釣りに行って転んだろう?あの時すでに何かがおかしかったんだ。でも大丈夫だ、今年も当然釣に行くさ。いい子にしているやつはスティールヘッドの釣りの時間が与えられるってもんだ!」

しかし、この年の秋に会った彼は以前とは変わってしまっていた。うるさいスティールヘッダーの面魂は影を潜め、眼光は柔和なものになっていた。彼の体に巣食った癌は手術で全てを取り去られることがなく、侵食進行はもはや止めようもなかったのだろう。体半分、やせ細った彼は生気も半分になってしまったかのように見える。オカナガンからヘーゼルトンまでの15時間に及ぶドライブはスティールヘッドや友人に会いたいという懐かしさに引かれてきたかのように感じられた。彼の姿を見て私は息を飲んだ。ロバートもその奥さんも、そして私も彼は彼のままであると思いつつ、やっぱり胸中の一部は、あのタフなWallyと比較してしまって苦しいのだった。

 

このときも一緒に釣りに出かけることがあった。

「明日五時に!一番に乗り込もうぜ!」

しかし掛け声は私のほうからだった。体が言うことを利かないからだろうか、あまり釣りには出かけずフライを巻いたりして回想にふけることがほとんどだったのだろう、彼は私の誘いに笑って快諾した。

翌日、私が釣り、彼が釣れなかった。こんなことは初めてだった。

 

日本に帰って春に、いつものようにWallyは電話をくれた。病院からだった。

「大丈夫なのか」

「ああ、大丈夫さ、お前からもらった鷺の羽はまだ使ってないけれど新しいスペイフライのシリーズを考えているよ。North Country Speyというシリーズだ。試作は前に2つ見せただろう?シリーズで行こうと思っている」

「それは楽しみだ、俺も考えている、ストーリー付だよ。WallyのMisty River Reechよりいいかもよ!そっちに送るよ、解説付きで。自宅に送れば奥さん病院に届けてくれるのか?」

「ああ、大丈夫だ。今年も釣りに行こうぜ」

夏を迎えるころ、朝早く鳴った電話は女性の声だった。Wallyの奥さんから彼の訃報を知らせる電話だった。受話器を握る左腕に寒気が走った。どう答えたらいいか分からなかった。Wallyが私のことを気にしてくれていた、本当に友人として思ってくれていたことが分かった。春にくれた電話は私の声をわざわざ聞くためにくれた電話だったのだ。

彼の奥さんに私は自分が春に送ったものがちゃんと届いたのかを聞いてみた。届いていた。喜んで読んでいたと返答がきた。自分に何かできることはないかと尋ねたが、静かに大丈夫と声が返ってきた。遠く離れているとどうしたものか分からなかった。尋ねてゆこうともせず、私は壁に張ってあったWallyとの写真を眺め、目が潤むのだけが自覚できた。

Wally Bolger Steelhead Skeena

私は今ならもっと英語で話すだろうけれど、Wallyは果たして、依然同じく付き合ってくれただろうか。たどたどしくもそこに釣師の情熱を感じ取ってくれたあのときだからこそ歩み寄ってくれたのではないだろうかと今も想像する。フライの話、道具の話はもちろん、あの時の魚、かつての川、今の川、そしてこれから。。。青年時代をスキーナカントリーで過ごし、ここで魚を追い回しつつ、若き日は“Girl”を追い回すことにも忙しくなり、結婚し、子供もできて家族を得た。ワルの青年期を過ごし、けれど自然には釣りを通して親しむことを忘れず、いろいろな国の釣人と出会い、そこでも負けん気を発揮して、無礼な外国人と競い、釣りも人間も成熟しつつ、ヨソ者を叱咤することもあり、一方で時に好意で各国からのツーリストの釣りのお供をしてその人たちの旅に花を添え、近所のガイドと仲良く過ごし、仲たがいし、釣友を語り、その子供を語り、この土地、この森を語ってくれた。

思うまま、感じるままに、スティールヘッドカントリーを生きる。ここに住むなら、生きるなら、こういう人物だろうとさえ思わされるナチュラルぶりを私は数年間にわたって目にしてきた。

英語がFUCK連発でわかりにくいのだけが自分にとって制約条件だったけれど、他はこの人物の一挙手一投足に正対し、時に脇見で観察し、自分はいったいWallyとの時間をどれだけ楽しみ、その中でどれだけ感じ、そしてどれだけ新しくフライフィッシングに対して思惟をめぐらすことになっただろう。日本からの馬鹿な釣師をその熱心さだけに感応して、供に過ごす時間を提供してくれた。自分にとってはスティールヘッドの釣り=Wally、なのである。

あの世でメスの30lbを超えるスティールヘッドを追いかけているだろうか。ノースカントリースペイシリーズは完成しただろうか。

 

Wally、もう一度、一緒に釣りに行きたかったよ。


下は私がWallyの入院中に送った手紙の一部で、魔弾のレシピです。思い出とともにここに記します。

"MADAN" Steelhead fly

The fly named after classic music composed by German musician,Weber. When translate the title of this classic, it is “The Free-Shooter”.

“MADAN” is Japanese and it means “devil’s bullet”. Here is episode of "Shooter of MADAN"....

 

Once upon a time in Bohemia.

MAX, who is a famous hunter, marked terrible score in shooting competition. He has gotten in slump.

If he was bad in next coming test-fire festival, he has to give up not only to get marry with his lover, but career of chief forest ranger. He has to display best ability as much as possible, but he is really afraid whether he can do.

 

There is a  young hunter who contracted with a devil, and he has known that MAX is slump now. One day he whispers to MAX about that using special bullet that called MADAN made in devil’s factory, and it hits target 100% with no mistake. But instead, after use this bullet, user has to be taken something by devil.

MAX could not refuse this temptation. And he made MADAN in midnight....and he could not fight using MADAN at competition ....

 

MADAN fly concepts are 1) Work enough, 2) Simple enough, and 3) Cool enough.

And three colors for wing should be prepared as follow.

 

A) Purple for general
B) Orange for cold water
C) Lime green for duty water
   

***** MADAN RECIPE ******

Hook:  Bartleet #4 to #1/0  
Thread :  Black  
Head :  Black
Wing :  Rabbit stripped fur 
Body :  Always black seal fur
Rib :  Silver wire 
Hackle :  Pearl and silver twist flash

 

      
1. Put wire. Do not make long body, just use straight area in shank of Bartleet, fur body length should be half of wing length or a little bit longer than half of wing length.
2. Make thread loop and put seal fur into loop then twist and wrap it at shank.
3. Set Rabbit fur at head for wing then turn wire four or five times over rabbit. Then cut rabbit wing at hook bend or shorter. This helps to avoid rabbit wraps bend, and free wing moves well under water.
4. Pick four to six pearl twist and four to six silver twist. Set end of them at throat and turn back to bend then cut them at longer than wing length.
5. Pick out seal fur to make transparent body and to make room between shank to hackle, and make material breath. It also helps that hackle wraps body.