カナダには、ほぼ毎年来ていますが、今年ようやく気がついたことがあります。
以前はメジャーな空港でフライフィッシングの雑誌が買えたものです。けれど5年くらい前からでしょうか、バンクーバーであれば以前は3、4誌はまとまって置いてあったのが、徐々にコーナーを失い、ハンティングやバックパッキングの影に追いやられ、最近はすっかり雑誌の棚から取り去られてしまったようです。香港で楽しみにしていたTrout & Salmonも同様、ダラスでは以前買っていたFly Rod & Reelなど見つかりませんでした。ドイツのフライブルグの駅のスタンドには必ずあるというのに、北米ではすっかり釣りがニッチになっているようなのです。(ここ日本でも同じなんでしょうけれど。)事実カナダの川辺で出会う釣人達は僅かなローカルとちょっとのアメリカンと多くのヨーロピアンです。
フライフィッシングはThinking man's sportと言われれば格好イイのでしょうけれど、一部の人だけの、面倒くさいものと思われているのかもしれません。スティールヘッドの現場や空港で会う人々も血気盛んな若者というよりはちょっと(あるいはほとんど)枯れた感じの大人か、羽振りのよさそうな中年くらいです。フライフィッシングはかなりマイナーなスポーツなのだなァと思わされる最近です。
この釣りにも様々な楽しみがあるのは間違いないのですが、それを細分化すると胡散臭いことこの上ないのも分かりつつ。この釣りを知って随分経っていると、フライフィッシングに幾種もの枝分かれを感じないではいられません。対象魚、使う道具、それもロッド、ライン、フライそれぞれで枝別れしていくでしょう。そしてスティールヘッドはその中の細流、枝の先端の1つなのだと思います。最近の私は、もちろん日本の渓流釣りも楽しんでいますが、スティールヘッドの、シングルハンドの、バンブーロッドの、ドライラインの、ドライフライの、スケーティングの、狭い世界に入り込んで妙な気分に浸っている感じです。
今年もここ数年同様、初日2日目はしつこくドライフライを竹竿で投げ続けました。例年よりも人が川に出ているなあと見渡しながら、可能と思えば真っ先にBomberを結び、結果が出ない日が続きました。一度くらい「何も釣れなかった」という旅もいいだろうと最近思い始めているのですが、どうすれば魚に巡り会えるだろうという思考や工夫は止めることができません。「今年はドライに一度も反応しない」「反応しても至極地味だった」「アグレッシブでない」「であればウェットフライのグリースラインメソッド」「魚の影も例年より少なく感じる」「けれど人のプレッシャーは昨年以上」「小さめのフライで」「スウィングは遅めに」「一箇所を丁寧に」エトセトラ、エトセトラ。
釣れないことを覚悟して、バンブーロッドだけで出かけて行くのは怖くなくなったようですが、どうすればあの魚にたどり着けるかを考えるとトメドがありません。だからと言って、連れて行くのがプラスティックな竿にカラフルなプラスティックのラインを通して、その先に結ぶのがゴム製だったりすると、フライフィッシングに在ったフワフワした温かみが消えてしまい、結果のみを求めることになってしまう。私はこの部分は卒業しつつあります。故ハリーレミアのフライはbuggyなものばかりだったと言います。そう行きたい。もともと道具の革新なんて必要なのかと思えるこのクラシックな遊びが好きなので、道具選びは 退化傾向です。
ところが今年、キスピオクスで数日を過ごすうちに、背後に森を背負うことが多かったりすると、竹竿どうこう以前に、シングルハンドでは釣り自体の楽しみが制限されてしまいました。区間によっては投射のたびに背後の岸のあらゆるものを引っ掛けました。ああ、これでは川で過ごす時間が楽しめないなあ、と。取り巻く自然と戦うようになったらフライフィッシングの趣はなくなってしまいます。どうやら来年はスペイロッドを連れてきた方が良さそうです。